ジチョー人見誠の履歴書その⑦[当時の大学ラグビー勢力図編]

ジチョー人見誠の履歴書その① 「幼少期編」

ジチョー人見誠の履歴書その② 「ラグビーとの出会い編

ジチョー人見誠の履歴書その③ 「岡山の高校ラグビー事情編」

ジチョー人見誠の履歴書その④ 「ジチョーの青春高校ラグビー“前編”」

※ジチョー人見誠の履歴書その⑤ 「ジチョーの青春高校ラグビー“完結編”」

※ジチョー人見誠の履歴書その⑥ 「ジチョーのだらしない高校生活編」

当時、関東の大学ラグビーを岡山で観る手段は11月23日の早慶戦と12月頭の早明戦、それに大学選手権準決勝~決勝などNHKで放送されるものくらいであり、それ以外の大学ラグビーについてはほとんどの岡山県人が知らなかったと思うんですが、高校時代、脳みそを一切勉強のためには使って来なかった私ジチョーが(笑) マンガ以外に唯一むさぼり読んでた本は月刊ラグビーマガジンとラグビーワールド!

岡山の実家に現在も所蔵中の当時のラグビーマガジン

なので大学ラグビーのことについては本当に詳しかった!それならば当然ピンと来ます!

“帝京大学、いいじゃないか”・・・と(笑)

関東大学ラグビーには「関東大学対抗戦グループ」と「関東大学リーグ戦グループ」、2つのグループがあります。

対抗戦グループは、比較的創部が古い伝統校中心のグループ。慶應義塾大、早稲田大、明治大、東大、立教大、成蹊大、日体大、青山学院大、筑波大など。

リーグ戦グループは、比較的創部時期が新しめの新興勢力校中心のグループ。ひと言で新興勢力と言っても創部年はほぼ横並びなのにいろいろと大人の事情があったりしますので(笑)この辺はまた機会があれば書ける範囲で書いてみましょう(笑)

当時1部校だったのは法政大、中央大、日本大、専修大、国士舘大、東洋大、大東文化大、拓殖大などで関東学院大が1部へ上がりたてくらいでした。東海大や流通経済大は、この頃にはまだ1部にいなかったんですね。

帝京大学は1970年(昭和45年)創部と、これらの大学の中でも飛び抜けて後発組の大学でありながら、なぜか伝統校中心の対抗戦グループに加盟していました。

1982(昭和57年)の帝京大学vs早稲田大学

私がラグビーを始めた1982年(昭和57年)高校1年生時の大学ラグビーは、早稲田大学4年生に本城和彦さん、吉野俊郎さん、益子俊志さんなどスーパースターが勢揃いし、対する明治大学は藤田剛さん、川地光二さんなど超重量FWで火花を散らしてた時代。当時の岡山でもわずかにTV放送される試合は、食い入るように観た記憶があります。でも大学選手権では平尾誠二さん、大八木淳史さんらスター選手揃いの同志社大学が優勝。日本選手権では松尾雄治さん率いる新日鉄釜石が同志社を下し、5連覇達成!高校ラグビーでは決勝カードが國學院久我山と目黒の東京対決で、「國學院久我山(東京第一)31-0目黒(東京第二)」と久我山がブッチギリの強さで優勝・・・そんな年でした。

第62回大会(昭和57年)で國學院久我山優勝を報じる新聞記事

私が高校2年時の1983年(昭和58年)は、高校が「天理(奈良)18-16大分舞鶴(大分)」で天理が優勝!大分舞鶴が最後の最後に2点差に迫るトライを決め、FB福浦主将が同点優勝となるはずのゴールキックを蹴ったが外れ・・・という場面に感動したユーミンこと松任谷由実さんの作った名曲があの「ノーサイド」であるというのは、知る人ぞ知る有名な話です。

第63回大会(昭和58年)で天理高優勝を報じる新聞記事

この年の大学ラグビーは同志社が2連覇!日本選手権は新日鉄釜石が6連覇!

高校3年時の1984年(昭和59年)は、高校が「秋田工業(秋田)9-4相模台工業(神奈川)」。大学選手権は平尾誠二さんの同志社が史上初の3連覇!そして日本選手権は新日鉄釜石が史上初の7連覇達成!この年で平尾誠二さんは卒業、松尾雄治さんは引退。そしてこの年でどちらも連覇記録は途絶えるんですよね。こんなすごいラグビー黄金期に、ラグビーに関わっていられた私は幸せ者ですね。

当時のラグビー雑誌の表紙を飾る、大スター選手だった本城和彦選手(早稲田大学)

話は私が高校2年時の1983年(昭和58年)に戻ります。

その前年に本城・吉野・津布久・益子などスター選手をズラリ揃え黄金期だった早稲田大学はそのスター選手がゴッソリ抜けたのですが、この早稲田大学は関東大学対抗戦グループにおいて、全国的にはまだほとんど知名度はなかったに等しい無名校にまさかの敗北を喫するのです!

そう、この年に創部史上初めて早稲田大学を破ったのが帝京大学!

帝京大学が初めて早稲田大学を破ったことを報じる当時のラグビーマガジン記事

これが当時のラグビーマガジンの記事ですが、なかなか衝撃的だったのを今でもよく覚えてます。

当時は大学選手権に出場できるのがたった8校という時代。関東4校、関西3校、九州1校という振り分け。なので関東の代表決定戦は対抗戦グループとリーグ戦グループの交流試合という形態で行われていました。「対抗戦1位vsリーグ戦4位」、「対抗戦2位vsリーグ戦3位」・・・というようにたすきがけで一発勝負を行い、勝ち上がった4校が大学選手権に出場できるという仕組みです。

関東対抗戦グループの上位4校と言えば早稲田大学、明治大学、慶應義塾大学、日本体育大学の4校!毎年この中では順位が変動しますが、筑波・青山学院大・帝京大などの出る幕はないという時代が延々と続いていました。

ところが先述の通り帝京大学が早稲田大学を初めて破り4位に食い込んだことで必然的に交流試合にも初出場!対戦相手はリーグ戦グループ1位の法政大学。ところが帝京大学はこのままの勢いで法政大学をも撃破し、そのまま初の大学選手権出場を果たすのです!大学選手権では1回戦でこの平尾誠二さん率いる同志社大学に敗れますがこの偉業は “赤い旋風” と呼ばれ、広く称えられるのでした。

交流試合「帝京大学vs法政大学」のひとコマ

その翌年、つまり私の高校3年時に帝京大学は、今度は明治大学を初めて撃破!またしても交流試合へ駒を進め、そして2年連続で法政大学を破り大学選手権へ連続出場!この年に3連覇する同志社大学にまたしても敗れるものの一躍その名を大学ラグビー界に轟かせたのでした。

しかも本当にすごいのが、帝京大のこれらの試合に出場してた4年生がLO(ロック)の塚本浩二さんのみ、つまりメンバー15名中14名は翌年も在学するわけで、次年度は優勝も狙える・・・そんな下馬評もあったタイミング。

繰り返し述べてますが、全国的に見ても明らかにレベルの低い岡山県内でも優勝出来ないチームのヒザが壊れレギュラー定着すら怪しい四流選手の進学先として、帝京大学が適切であるとは誰も思えなかったでしょう(笑)

必死に追いかける人見選手(笑)

事実、当時の顧問である最相先生に「関東の大学(帝京大学)へ行きたい」との希望を伝えたところ即座に、「止めとけぇ~!続くもんか~!すぐ辞める羽目にならぁ~!関西(大阪●●大学)までにしとけぇ~!それならワシが推薦状を書いちゃら~!」・・・と、レギュラーになるならない以前の話として、まず厳しい環境に耐えられるはずがないと断定されてしまったのでした。

そこまで言われてしまうと、私の天邪鬼な心に火がつき、“意地でも自力で関東へ行って、石にかじりついても辞めずに4年間続けて来たらぁ!!”との決心が固まり、そのまま顧問の先生は完全無視で自力でドンドン受験の準備を整え、一般受験します。

同級生で仲の良かった古谷(こたに)仁志くん(ラグビー部ではない)と共に上京、池袋のビジネスホテルに宿泊。受験に備えます。

ちなみに当時の受験会場は八王子の大学ではなく十条の帝京高校。池袋駅から赤羽線(今の埼京線)に乗り、十条駅から帝京高校を目指すのですが・・・前日に下見したときには真っすぐ行けたのに、当日に道を一本間違えて東京朝鮮高級学校正門のところへ通学時間帯に出てしまい、当時の朝高の恐ろしい都市伝説(鼻鉛筆とか、手の甲をホッチキスで留められるとかww)を頑なに信じていた我々は “絶対目を合わすなよ!下向いて通り抜けるぞ!” とめちゃめちゃビビりながら歩いてのを覚えてます(笑)

あと、池袋の繁華街で入ったハンバーガーショップ(今考えるとウェンディーズ?)で、「トマトをお入れしますか?」と聞かれ「お願いします」と答えたところ、あとでレシートを見たらそれが有料だったことに気づき、岡山へ帰った後に高校で「東京のハンバーガーはのぅ、トマトが有料なんでぇ~!」と自慢気に話したことも思い出しました(笑)

あと山手線に乗ろうとしてタッチの差で乗り遅れ、血相を変えながら近くの人に「次、どのくらいで来ますか?」と尋ねたら「すぐ来ます!」と答えられたことも(笑)田舎の高校生にとって、電車が2~3分おきに来るので時刻表の確認が不要なんていう電車の存在が信じられなかった(笑)

ちなみに牧野さんという私の一級先輩は、山陽本線のイメージで山手線に乗り、座席に着くなりタバコに火をつけたら「禁煙ですよ!!」って隣の人から怒られたと言ってました(笑)

なにはともあれ、結論から言えばこの受験に合格し、1985年(昭和60年)4月より花の都東京での大学生生活がスタートするのでした!

 

ジチョー人見誠の履歴書その⑧[帝京大学でのラグビー編]へ続く!

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ジチョー人見 誠

ジチョー人見 誠

パチンコ業界一筋30年、都内パチンコ店の営業責任者の50歳!岡山県岡山市出身!関西(かんぜい)高校入学後ラグビーと出会い、そのままラグビーに没頭!高校3年時にはラグビー部主将を務め~帝京大学でもラグビー部に在籍。息子も帝京大学ラグビー部に所属、史上初の親子部員。今でも足しげくグラウンドに足を運び、年間約120試合観戦している。

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