ジチョー人見誠の履歴書その⑤[ジチョーの青春高校ラグビー“後編”]
※ジチョー人見誠の履歴書その③ 「岡山の高校ラグビー事情編」
※ジチョー人見誠の履歴書その④ 「ジチョーの青春高校ラグビー“前編”」
高校ラグビー界においてはただでさえ全国的には実力の劣る岡山県。
その岡山県の中でナンバーワンにはなれない関西高校ラグビー部。
その関西高校ラグビー部の中でいち早く見出されチャンスをいただきながら、中途半端なヤンキー道をブレブレに歩んでしまい2年生の終わりまでレギュラーをつかめずに来てしまった人見誠少年。
最相敏雄監督(故人)、難波秀和コーチ(現・明誠学園バスケ部顧問)、半井大介前主将の間でどのような話し合いが持たれたのか知る由もありませんが、なんとここで私が次期主将に任命されてしまうのです。まったく予想だにしていなかったのでただただビックリしますが、最終的には“よし、やってやるぞ!”との強い意志でチームを引っ張っていこうと決意します。
一番最初の公式戦が「近県大会」。まあ岡山県のレベルを上げるために、近県(広島県・兵庫県)から高校を招き試合をすることによって強化しようという趣旨の大会です。
私は福山誠之館(広島)と対戦する岡山高校選抜の主将として6番左フランカーで出場。当時の新聞にも「人見、岩谷、浜田の三列は強く、展開力ならどこにも負けない」などと書いてもらい、とてもいい気分(笑)
試合も前半はがっぷり四つで、かなり自分自身でも出来は良かった記憶があるのですが、前半終了間際に悲劇が起こります。
相手スタンドオフがノックオンしたのでそれをドリブルで蹴っていこうと足を出したのですが、その上にセービングしようとした相手10番が乗ってきて右膝の内側靭帯を断裂。気持ちは高揚していますから、後半の30分も試合には出続けたのですが、試合後はどんどん痛みがひどくなり、後輩の肩を借りながら帰宅したあと、翌日には歩けなくなり・・・病院へ行ったら即入院&手術。ようやく試合に出れる喜びを感じられ始めた矢先に3ヶ月の戦線離脱。チームはこのまま新人戦も初戦敗退、春の中国大会予選も準決勝敗退と、不本意な成績が続きます。
手術から1ヶ月後に退院し、約2ヶ月間をリハビリに費やし、概ね予定通り3ヶ月後に復帰を果たすわけですが、退院してからは杖を突きながら毎日グラウンドへ足を運び、選手たちに声をかけ続けます。キャプテンとしては自分が出られなくてもチームをまとめていく責任がありますし、厳しい努力を継続しなければ勝てないし、事実結果が出てないわけだし、遠慮なく言うべきことはしっかり言うしかないですからね。
そして自分自身も早く復帰できるようにリハビリを頑張って・・・
自分では本気でそう思ってたんですけどね・・・
肝心の仲間たちがそのように好意的な目で見てくれてないと気づいたのは、ずいぶん後になってからのことでした。
おそらく私以外の部員たちは、私の投げかける辛辣な言葉に否定的な思いが蓄積されていってたのでしょう。「練習に参加してねぇ、オメーが言うなよ!」・・・と。
おそらく私以外の部員たちは、私のリハビリへの取り組み姿勢が一日でも早く復帰するために必死で努力しているようには見えなかったのでしょう。「一日でも早く復帰しようと努力してねぇオメーが言うなよ!」・・・と。
夏頃からは、下級生からも含め公然と私を批判するような声が直接ぶつけられるようになり、私は部内でどんどん孤立していくようになりました。
あと、きちんとトレーナーから指導を受けながらのリハビリではなかったので、プレーヤーとしては致命的なのですがランニングフォームがすっかり壊れバネもなくなり、3列をやるには致命的なくらい足が遅くなりました。
こんな体たらくだったので私は、プレーヤーとしてもリーダーとしても言葉でもチームを引っ張ることの出来ない、最悪なキャプテンとなってしまいました。
今ならば、こんな状況を打開するために色んな方法論が頭に浮かびます。
3年生全体もしくはその中のリーダー的存在を呼び出し、言いたいことを言いたいだけ言ってもらった上で納得いくところまで全員で徹底的に話し合うというやり方もあったでしょう。
ストレートに監督に事情を打ち明け、相談するという手もあったでしょう。
プレーヤーとしても、例えば走力アップのトレーニング方の教えを請いに、陸上競技部へ出稽古に行くなんて手もあったでしょう。
リハビリの一環として一時期、ボディビルジムへ筋トレに通っていたので、そのまま本格的にトレーニングを続け、筋力を活かせるポジションへ移るなんて方法もあったでしょう。
色んな選択肢があった中で私は何をしたかと言うと・・・
完全に思考停止に陥り、何も出来ませんでした。
・・・と言うとニュアンスが違いますね、何もしませんでした。
そのままチームは一切まとまらないまま、自分自身は一切キャプテンとのしての役割を果たさぬまま、そのまま全国大会予選へ突入してしまいます。
この記事を書くに当たり当時の新聞記事切り抜きのファイルで確認してみましたが・・・
私の高校1年生のとき(第62回大会)の岡山県予選決勝は
○鴨方 12(前半6-0/後半6-4)4 津山工業●
(※鴨方は花園出場)
※あ、当時はまだ1トライ4点の時代です(笑)
ちなみに関西高校は準決勝で津山工業に0-76と超ボロ負けしてます(笑)
高校2年生のとき(第63回大会)の岡山県予選は決勝まで進んだものの・・・
●関西 4(前半0-17/後半4-22)39 津山工業○
(※津山工業は広島との代表決定戦に敗れ出場できず)
翌年は決勝まで上がったものの、勝てるレベルではなかった。
そんな中で我々の代(第64回大会)は・・・
準々決勝
○関西 47(前半19-0/後半28-0)0 高松農業●
準決勝
○関西 18(前半4-0/後半14-0)0 鴨方●
チームは絶好調、2試合とも相手を完封で決勝進出!ちなみにこの大会で私どのポジションをやっていたかと言うと・・・4番左ロック!!わずか176cmの急造ロックです。おそらく、スピードがすっかりなくなりチーム内で求心力もなくなっていた私にやらせるポジションが、一番選手層の薄かったこのあたりしかなかったんでしょうね。
そして決勝戦!対戦相手は前年と同じ津山工業!前半は3-0とリードしての折り返し!ここまでを観ていただければおわかりの通り、少なくともこの3年間で最も花園に近づいた瞬間でした。
でも・・・後半さまざまなサインプレーを仕掛けてきた津山工業に関西はなす術なく・・・
●関西 3(前半3-0/後半0-12)12 津山工業○
(※津山工業が花園出場)
ジチョーの高校ラグビー生活が終わりを告げた瞬間でした。
最後の最後までチームをまとめるどころかキャプテンとしての役割を何ひとつ果たすことの出来ないまま・・・。
その後も当時の同級生たちと、このことについて話し合うこともないまま30数年のときが経ち現在に至ります。なので私の胸の奥には今もずっとトゲが刺さったまま・・・。
まあこんな体験があったからこそ、社会人生活の中で労務面など悩ましい事態に陥ったときでも、自分の引き出しから色んなものが取り出せて対処出来ているわけで、人生にムダなことなど何もないなと実感する次第なんですが、それでもこのホロ苦い体験については今でもときどき走馬灯のように甦って来ます。
ここまでの内容はおそらく、今まで両親はもちろんのこと誰にも一度も話したことがないような気がします。“王様の耳はロバの耳” 的なもんですかね!?カミングアウトして、ずいぶんスッキリしました(笑) 長々とお付き合いいただきありがとうございました(笑)
ここから帝京大学でのラグビー編に移るわけですが・・・長すぎるな(笑) まあそれでもせっかくなんで、大学ラグビー編もお付き合いください(笑)
※ジチョー人見誠の履歴書その⑥[ジチョーのだらしない高校生活編]へ続く!

ジチョー人見 誠

最新記事 by ジチョー人見 誠 (全て見る)
- 本日、高校ラグビー全国大会埼玉県予選決勝が行われます! - 2019年11月16日
- 本日、関東対抗戦グループ上位4校の直接対決だよ~!! - 2019年11月10日
- ラグビーW杯2019日本大会、いよいよ本日準々決勝「日本vs南ア」決戦の時! - 2019年10月20日
関連記事
-
-
ジチョー人見誠の履歴書その⑬[初めての大学ラグビー夏合宿後編]
※ジチョー人見誠の履歴書その① 「幼少期編」 ※ジチョー人見誠の履歴書その② 「ラグビーとの出
-
-
ジチョー人見誠の履歴書その⑯[ジチョーアルバイト開始編]
※ジチョー人見誠の履歴書その① 「幼少期編」 ※ジチョー人見誠の履歴書その② 「ラグビーとの出
-
-
日本選手権決勝「サントリーvsパナソニック」観戦記
試合結果 2017年(平成29年)1月29日(日)14:00キックオフ 於:秩父宮ラグビー場
-
-
練習マッチ「帝京大学Avs天理大学A」観戦記
試合結果 2017年(平成29年)8月24日(木)13:00キックオフ 於:菅平サニアパーク
-
-
ジチョー人見誠の履歴書その⑫[初めての大学ラグビー夏合宿前編]
※ジチョー人見誠の履歴書その① 「幼少期編」 ※ジチョー人見誠の履歴書その② 「ラグビーとの出
-
-
高校ラグビー全国選抜大会 桐蔭学園が京都成章を下し悲願の初優勝を遂げる!!
3月31日に開幕した高校ラグビー春の選抜「第18回全国高等学校選抜ラグビーフット
-
-
関東大学ジュニア選手権「帝京大学vs流通経済大学」観戦記
試合結果 2017年(平成29年)10月15日(日)13:00キックオフ 於:流通経済大学龍
-
-
博多の街がダイエットに向いていない件(笑)
このブレザーは、私が帝京大学ラグビー部員だった頃のものです。 現在はエンブレムがピ
-
-
高校ラグビー「関東新人大会」最終日速報!
前日に続き2/19(日)も東京都稲城市にある日本大学ラグビーグラウンドで高校ラグビー「関東新人大会」
-
-
関西高校硬式野球部34年ぶり甲子園出場の回想!
今年の元日からこのブログを書き始めたわけですが、正直私の想像を超える絶大な反響が