ジチョー人見誠の履歴書その⑰[パチンコの歴史編・草創期~1985年]

ジチョー人見誠の履歴書その① 「幼少期編」

ジチョー人見誠の履歴書その② 「ラグビーとの出会い編

ジチョー人見誠の履歴書その③ 「岡山の高校ラグビー事情編」

ジチョー人見誠の履歴書その④ 「ジチョーの青春高校ラグビー“前編”」

※ジチョー人見誠の履歴書その⑤ 「ジチョーの青春高校ラグビー“完結編”」

※ジチョー人見誠の履歴書その⑥ 「ジチョーのだらしない高校生活編」

※ジチョー人見誠の履歴書その⑦ 「当時の大学ラグビー勢力図編」

※ジチョー人見誠の履歴書その⑧ 「帝京大学ラグビー部入部編」

※ジチョー人見誠の履歴書その⑨ 「関西人とのバトル編」

※ジチョー人見誠の履歴書その⑩ 「関西人から学んだこと」

※ジチョー人見誠の履歴書その⑪ 「初めての大学ラグビー春シーズン編」

※ジチョー人見誠の履歴書その⑫[初めての大学ラグビー夏合宿前編]

※ジチョー人見誠の履歴書その⑬[初めての大学ラグビー夏合宿後編]

※ジチョー人見誠の履歴書その⑭[関東大学ラグビーの歴史編]

※ジチョー人見誠の履歴書その⑮[1985年シーズン帝京大学の立ち位置編]

※ジチョー人見誠の履歴書その⑯[ジチョーアルバイト開始編]

 

私ジチョーが夜間の島清掃アルバイトを始めた1985年(昭和60年)当時のパチンコ店ってどんな様子だったのかということについてちょっと書いてみようと思ったんですが、それを書くためにはパチンコ業界の歴史をザックリとおさらいしておかなければならないなということに気づきましたので、簡単に簡単に書いてみたいと思います。

パチンコ店の営業は “風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(通称:風適法)” という1948年(昭和23年)に出来た法律により、それまでのモグリのような営業から一定のルールにのっとって行われる合法的な娯楽となりました。

1950年(昭和25年)に考案された、いわゆる “正村ゲージ(羽根モノの原型となるゲージ構成)” の普及によりパチンコが爆発的人気となり、初めて新規店の出店ラッシュとなったのは1953年(昭和28年)頃らしいです。ちなみに私ジチョーが現在所属している会社の・・・というか2004年(平成15年)から数年間店舗責任者を務めた上野アメ横ど真ん中にあったパチンコ店(現在はテナントとして貸し出し中)がまさに昭和28年に創業した店舗らしいです。

正村ゲージのパチンコ台

今も上野には数多くのパチンコ店がありますが、当時からそのまま営業を継続していた最後の店舗がこの店だったそうです。つまり今ある店舗は全てそれ以降の出店ということになりますね。

そこからのパチンコの歴史というのはことごとく “射幸心をくすぐる(ギャンブル性を高める)営業をする” ⇒ “行政から規制が入る” ⇒ “また抜け道を考えて新たに射幸心をくすぐる機械が開発される” ⇒ “行政の規制が入る” ・・・ということを半永久的に繰り返しているのが、研究すればするほど解って来ます(笑)

商魂たくましいと言うべきか、ずるいと言うべきか、あざといと言うべきか・・・(笑)

1953年(昭和28年)に爆発的に店舗が増えたのもそもそもは、連発式と言って1分間に160~180発の玉が自動で速射される機械が開発され大ヒットしたからなんですね。そのせいでこの年にパチンコ店は38万軒以上乱立したらしいですよ!!

ちなみに現在パチンコ店は、1万軒程度しかありません。そして玉の発射も現在は1分間に100発以下に抑えるよう規制されています。

翌年の1954年(昭和29年)には早くも連発式の規制が入り、店舗は一気に半減したらしいです(笑)

第二次の黄金期は1960年(昭和35年)。きっかけはチューリップが開発されたことによるそうです。つまり1個玉が入賞すると、もう1個オマケで入りやすくなるって仕組みが発明されたってことですね。

チューリップ。玉が入ると開き、続けて入りやすくなる。

そして法律改正による貸玉料金の値上げは3度!1949年(昭和24年)に1玉1円が2円に、1972年(昭和47年)に1玉2円⇒3円、1978年(昭和53年)に1玉3円⇒4円と変更されたまま現在に至ります。ちなみに絶対に1玉4円にしなければならないと言うことではなく、正確には “4円以下” という表現となります。なので4円パチンコでも2円パチンコでも1円パチンコでもOKという法的根拠となります。

それでですね、その1玉3円⇒4円へと貸玉料金の値上げが行われた1978年(昭和53年)~1979年(昭和54年)頃、未曾有のパチンコ不景気が到来し、バタバタとパチンコ店がつぶれていくんです。いったいどんな規制が行われたせいかというと・・・じつは規制などではなく、意外な意外な理由と言うか社会現象のせいだったんです。

なんとなんとその理由は・・・

“インベーダーゲーム” ブームの到来!!

世紀の大ヒットとなったインベーダーゲーム

当時私ジチョーは小学校6年生~中学1年生!確かに大の大人から子どもまでインベーダーゲームに熱狂してたのを身近に見てました。

当時のインベーダーゲームブーム!こんな絵面がよくTVや紙面を賑わしてました。

小学校では比較的放課後の管理方法はおおらかだったのでゲームセンターへ行ったりすること自体は別に問題視されてなかったですけど、中学校ではやたらとゲームセンターへ近づけまいと先生たちが躍起になってたような記憶があります。

あと、電子ライターを改造したやつでカチッカチッってやってクレジットを上げる的な不正行為もけっこう流行ってて、中一の時に同級生が何人も芋づる式に補導されたってなこともありましたね(笑)私は大してインベーダーゲームにはハマらなかったので、別に問題ありませんでしたけどね(笑)

ウソのような本当の話ですが、大人達までインベーダーゲームに熱狂したせいで、パチンコ店へ向かうお客様が激減!パチンコ業界は瀕死の重傷を負ってしまうのですが・・・

またまたここで神風が吹くんですね(笑)

再びパチンコ店へお客様を振り向かせることに成功した新アイテムは・・・

セブン機と羽根モノ(ヒコーキ台)の登場!!

当時のパチンコ台とは、今で言ういわゆる “一般台(普通機)” つまりチューリップや入賞口へ玉が入ればジャラジャラ出て来るし入らなければ飲み込まれるしという、お店とお客様が100%ゲージ(釘)調整を通じて勝負するって構図でした。

しかしこのセブン機と羽根モノについては、そのゲージ調整に加え偶然性の要素と大当たりした時に出玉大量獲得が可能になる・・・つまり射幸性をこれでもかと高めた台だったんですね。

ちなみに初めてセブン機が登場したのは1980年(昭和55年)、発売したのは㈱三共!機種名は「フィーバー」スタート口に玉が入るとドラムが回り「太陽マーク×3+上部デジタル7」で半永久的に出続けるのをお店側が任意で打止数を設定して遊技を止めさせるって方式だったそうです。初号機の大当たり確率は1/250。

史上初のセブン機・フィーバー(三共)

開発のコンセプトは “壊れたような台を作る” だったんですって!「昔、チューリップが壊れて玉が入りっぱなしになる台があって面白かった!」っていう雑談をヒントに “アタッカーが開きっぱなしになる” って形態を考えついたんだそうですよ。

何となくこのようなセブン機を全て “フィーバー” と呼んでしまう人もいますが、 “フィーバー” って名前のついた機種は全て三共さんのものです。平和さんが出した類似機は “ブラボー” 三洋物産さんが出したのは “パニック” などなど、メーカーによってメインの呼称は決まっていました。

その翌年には早くもこのフィーバータイプの出玉規制が行われ、「777+7」で大当たりするとアタッカーが30秒間開きっぱなし×10ラウンドっていう形になります。1個当たりの賞球数は13個。一度の出玉数がいくつだったのかは定かではないんですが、たしか2.5円換金のお店で約1万円くらいになってたような気がするので、今イチ自信はありませんがおそらく約4,000個くらい出てたんだと思います。

そしてこの1981年(昭和56年)にもうひとつ、パチンコ界において輝ける新機種・羽根モノとして登場したのが「ゼロタイガー(平和)」。いわゆるヒコーキ台です。「1」の落としに入ると羽根が1回、「2」の落としに入ると羽根が2回開き、具合よく「V」に玉が入ると羽根が18回開き、その途中に再び「V」へ入ると次のラウンドへ、これが最大で8回繰り返されるってヤツですね。

平和が初めて発売した羽根モノ「ゼロタイガー」

次回以降で触れますが、私ジチョーがパチンコ店へ出入りし始めた頃にもまだ「ゼロタイガー」はチラホラ残ってましたので、実際に打った経験があります。

それでもまだセブン機は1回の大当たりで4,000個程度(約1万円)と言うのはけっこうギャンブル性が高いですし、実際に「777」が揃った瞬間にショックで心臓が止まってしまい亡くなった人が出たなんてニュースもありましたし、1984年(昭和59年)に出玉がちょうどこの半分になるように・・・つまり1回の大当たり出玉を1ラウンド15秒開きっぱなし×10ラウンド=約2,000個っていう規制が行われます。

この1984年(昭和59年)という年号を見てピンと来たアナタ、相当なジチョーブログマニアです(笑)そう、この年が関西高校3年生で主将としてラグビーに打ち込んだ年です。この年の12月に帝京大学の受験で池袋のビジネスホテルに泊まった私ジチョーは池袋のパチンコ店へフラッと入り、この15秒開きっぱなし×10ラウンド時代のフィーバーを2度大当たりさせてます(笑)まったくもう、親の金でなにやってんでしょう(笑)その儲かったお金をどう遣ったのかは全く覚えてません(笑)

でもですね、出玉規制はここで終わらなかったんです。翌1985年(昭和60年)には、さらなる出玉規制として、1ラウンドで何発入っても15秒開きっぱなしって方式から10カウント(10個入った時点で強制的にアタッカーが閉まり1ラウンド終了)×10ラウンドって方式に変更されます。この方式だと1回の大当たりで獲得できる出玉数は約1,300個(2.5円換金だと3,000円強)にしかならないというショボショボの機械になってしまいました。

合わせて羽根モノも1ラウンド18回開きっぱなしだったものに10カウントがつき、×8ラウンドという形になります。つまりセブン機も羽根モノもどちらもショボーくなってしまいました。当然刺激の薄くなったパチンコの魅力は弱まり、ヘビーユーザーの足は遠のきます。

長々と解説しましたが、つまり前回お話しした1985年(昭和60年)4月2日に新規オープンした私ジチョーのバイト先である多摩キングに設置されていた羽根モノ「ギャラクシーダイバー(三共)」「ロイヤルキング(三共)」、そしてセブン機「ビッグドン(豊丸産業)」「ブラボー10(平和)」「パニック(三洋物産)」などは全て10カウント規制後のものばかり、つまり開店直後から集客にはなかなか苦労した不遇の時代であると言えます。

でも裏を返せば、ビンボー学生が少ない投資金額でのんびり遊べた時代でもあります。私が多摩キングでアルバイトを始めたもうひとつ大きな理由は “この店は全然出ないから、少なくとも客として遊びに行くことはもうないだろう” と確信したから(笑)私が大のお気に入りだった帝京大学のふもとにあった「大塚ヤング」というお店は、なけなしの2~3千円を握りしめて行けば半日程度はのんびり遊べて勝率もそれなりに良い、とっても居心地の良いお店でした。

現在のパチンコは残念ながらこうはいきません。わずか30~40分で1万円が消えていきますし、3万円とか5万円とかつぎ込んでもウンともスンとも言わずに終わるなんてケースもしばしばあるくらいで、サラリーマンが自分のわずかなお小遣いを遣ってちょっとだけ・・・なんてのが本当に難しくなっちゃってるのが実情です。

なので最近遊技人口の減少が深刻化しているパチンコ業界として進むべき方向性は、ジチョーの学生当時の時代へタイムスリップすべきじゃないのかというのがジチョーの持論なわけですが、この辺の話はまたおいおいゆっくりと書いてみたいと思います。

そんなわけで私ジチョーのタイムスケジュールはと言えば、ラグビーに明け暮れてる時間と22:30~23:30の清掃バイトの時間以外の時間には、まぁまぁの頻度でパチンコを打ってました。当時はまた “攻略法” なるものがけっこう出回ってて、よく出せたんですよね(笑)なのでぶっちゃけ、半ばパチプロでもありました(笑)

ジチョーが得意としていた「パニック(三洋物産)」

私が特に得意としてたのが「パニック(三洋物産)」って機種。当時はデジタルの数字が0~9までの10進法で出目も極めて規則性が高く、その規則性に当てはめれば次の数字がとっても予測しやすかったんです。しかもストップボタンがついててその規則性を変えるように押して出目を変えることも容易に出来たんですね。なのでタイミングを計りながらボタンを押して「822」⇒「859」と来れば次回は「777」が揃う・・・みたいな感じですかね(笑)よく稼がせてもらいました(笑)

ちなみに同級生のヒデヒロくんは「ブラボー10(平和)」攻略の達人!2人でずいぶんつるんで打ちましたよ(笑)

「ブラボー10(平和)」大当たり時のファンファーレがビッグシューターに受け継がれた

そんなわけで私ジチョーとパチンコは、切っても切れない縁で結ばれていくのでした(笑)

 

※次回 ジチョー人見誠の履歴書その⑱[ジチョーを悪の道に引きずり込んだ悪友編]へ続く!

 

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ジチョー人見 誠

ジチョー人見 誠

パチンコ業界一筋30年、都内パチンコ店の営業責任者の50歳!岡山県岡山市出身!関西(かんぜい)高校入学後ラグビーと出会い、そのままラグビーに没頭!高校3年時にはラグビー部主将を務め~帝京大学でもラグビー部に在籍。息子も帝京大学ラグビー部に所属、史上初の親子部員。今でも足しげくグラウンドに足を運び、年間約120試合観戦している。

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